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「地球へ…」劇場版(後編) [「地球へ…」]

地球へ・・・

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地球へ・・・Vol.4 【完全生産限定版】 [DVD]

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「人類対ミュウ…。この戦いはおそらく地球の意思だ。例え君と僕がどんなに平和を望んでも、歴史の流れは変えられない。」

さぁ、本当に後編です。こんなに長く引っ張るとは、私自身が一番意外です…
はい、結末に大きく触れます。興味の無い方、自分自身でこれから鑑賞するから知りたくないという方は、回れ右でお願いします!


先週はジョミーが天岩戸(だってそう見えたんだもん)に隠れてしまった所まで書きました(苦笑)。

それから10年。トォニィに率いられたミュウ達は全体の80%を失いながらも、大船団軍で地球軍に立ち向かっていました。たった4隻だったTVとはえらい違いです。あれで80%失ったって言うんですから、いったい元々ミュウってどれだけの人数がいたの!って感じですね。

一方キースは地球の全権を委ねられた地球の元首になってます。この辺はTVと変わりませんが、違うのは原作の通り、前線に出て行かないこと。TVのキースはフィシスにミュウの長が何故、戦いの最前線に出て行くのかと問うていましたが、キースだって指揮戦艦に乗り込んでるんですから、余り人のこと言えないんじゃないか…と思います。それがマツカの言う『いつも死に場所を探している様な貴方だから、僕は…』に繋がるのでしょうが…。TV版のキースは正当な理由で自分を殺してくれる相手を求めていたんだと思っています。原作版のキースの台詞に有ります。
(だがわたしはもう戦線には出て行けぬ。……そういう地位に立ってしまった。………おまえはどうだ。サムの記憶から一歩も成長せぬ化け物よ………。)
そう、いくら戦争が佳境に入っているからと言って、国家元首が最前線に立つ事は近代歴史には有りません。国という物の存在が未発達な時代(日本の戦国時代のような)の戦いは別としてですが。

地球に有る作戦会議室で再三のミュウの通信を無視するキース。一方、成長したトォニィは母船で他のミュウに指令を送っています。アルテラやツェーレンらしきキャラクターの存在も確認できます。どうやら劇場版では、ナスカチルドレンのような強い能力を持ったミュウは7人や9人どころではないようです。最後に25人生き残っていますから…。
余りに非情な作戦を取るトォニィに異議を唱えるハーレイ。自分の意思はソルジャー(ジョミー)の意思だと、取り合わないトォニィ。TV版のハーレイは無茶をするトォニィを内心案じてましたが、劇場版ではそういう関係ではないようです。ソルジャーの子供だから、あまり逆らえない存在…そういう感じがすべてのミュウに見え隠れしてます。

そんなミュウの状況を案じたフィシスは天岩戸(しつこい)の前でジョミーにテレパシーで呼びかけます。
「ジョミー。わかりますか?私です。フィシスです。どうか、その閉じた心を開いてください。私達の所へ戻ってきてください。人類もミュウも憎しみの泥沼に足をとられてもがいています。貴方はいつも仰っていた…。人間らしさとは愛だと。慈しむ心こそ、私達の求めるものだと…。愛の無い地球など、私達の故郷では有りません。憎しみなど…もう、沢山です!」

その頃トォニィは人類への制裁だと、教育ステーションを破壊しようとしています。人類全てを滅亡へ導こうと、子供たちを皆殺しにしようと…。もちろん反対意見はでますが聞こうとはしないトォニィ。
その時、それを止めるジョミーのテレパシーが響きます。ミュウ達にとって10年ぶりに見る長の姿…。
トォニィを制止し、昔のようにステーションに呼びかけるジョミー。15年以上経ち、彼の能力も上がっているのでしょう。子供達の心を動かし、自分たちの考えでミュウに味方するステーションの人々。

一方、人類の考え方にも、それぞれ今までと違う意識が訪れます。主に地球で生きる事を許されなかったエリート以外の人々に…。
「よく考えて見りゃ、ミュウが悪いことしたって訳じゃないもんな。」
自分たちもミュウも機械に選ばれそこなった同じ様な存在だと…。しかし地球に住む事を許された一般エリート達は違います。ミュウが来たら殺されるとパニックを起こし、地球から脱出しようとする人々を止める兵士との間で暴動が起きます。この辺、個室に閉じこもる原作やTV版より、一般人エリート達も人間味を感じます。軍の中でも寝返りが相次ぎ、ミュウの軍隊が地球軍を圧する勢いになり…。

そしてとうとう、地球が目に見える位置まで到達したミュウ達…。
「ソルジャー、とうとうたどり着いたんです。貴方にお見せしたい!地球は本当に青い…!」
目も耳も口も機能を失っているジョミーに語りかけるリオ。ジョミーはスクリーンに背を向けて無表情のまま頷きます。原作版では、超能力で視覚を補助し、地球を目にして感激するジョミーですが、劇場版はクールです。身体機能を失う理由が仲間を失ったショックと言う点では共通していても、高熱によるものだった原作と、自分から閉じてしまった劇場版では反応は違います。この後も彼は感情を見せません。最後まで自分を閉じてしまった部分は残っているようです。原作やTV版の様にブルーの死後、彼の存在がジョミーの中で行き続ける設定でないのも理由の一つかもしれません(時間がないというのが理由でもありましょうが…)。

「僕はジョミー・マーキス・シン。地球政府に交信を望む。我々との会見に応ぜよ。我々との会見に応ぜよ!」
じっと目を閉じたキースは、おもむろに通信機に近づきます。
「私は地球政府最高司令官キース・アニアンだ。申し出を受け入れよう。明日、地球時間18時、地球防衛本部で待っている。」
ざわめきが起きる周りの地球人たち。そりゃそうですよね。今まで一切受け入れなかったんですから。
「明日、地球時間18時、地球防衛本部。了解した。君の決断を感謝する。」

その夜、部屋でマツカと会話するキース。フィシスが自分の遺伝子上の母である事等を結構何でも、マツカに話してますね、劇場版キース。
((フィシスに)会えるものなら会いたい…。)
「もう寝なさい。明日は地球の運命が決まる。」

…お父さんですか?本当にマツカに優しいキース。原作やTV版のマツカの苦労はいったい…。

さて、約束の時間が迫ってまいりました。なんと劇場版のジョミー、たった一人で地球へ向かいます。罠ではないかと心配する他のミュウ達を制し、
「私はキースを信じる。」
…今、『私』って言いましたか、ジョミー。いや、立場上は相応しい一人称ですが、この人敵軍に対する通信でさえ『僕』って言った人ですよ(笑)。『僕』なら『僕』で統一してください
しかしこのジョミー、いつの間に知ったんだかフィシスとキースの関係知ってますし。原作のように調査する時間が有ったようには見えないんですが…(苦笑)。
「会見が済んだら、彼をこの船に招こう。待っていてくれ。」
とフィシスに言い置いて地球へ向かいます。…ちょっと待って。これが仲間たちへの最期の言葉ですか?もうちょっと気の利いたこと言わせてくださいよ、脚本家さん!一応、主人公なんだから(一応?)!

目的の地、地球防衛本部ではキースが一人で待っていました。…どっちもどっちだ。
「久しぶりだな、ジョミー。」
「私がテレパシーを使うのを許してくれ。言葉はあの時に失った。」
「詫びるつもりは無い。ああするのが私の任務だった。我らの戦いは終わった。君達ミュウの勝利だ。」
会見ですか?これ?…いや、時間が無いんですよね。しょうがないんですよね。だって映画だもんね。某映画のように3部作にするなら話は別だけど(笑)。時代が違いますし…。
そこに割り込むグランド・マザー。(いっそのことココで終わっとこうよ…と言いたくなる一部ファンの呟きは置いといて…)、
「戦いの決着はまだです。キース・アニアン!」
「いえ、もう遅い。いまやミュウに地球を明け渡すしかない!我々は敗れたのです!グランド・マザー!」
「キース、それは違う!僕達は戦った。確かに戦った。生まれる前から戦う事を運命付けられたものとして…。そして沢山の生命が消えていった。キース、僕達は何故戦ったんだ!?何故殺しあったんだ!?本当の敵は貴方だ!!!」
グランド・マザーを鋭く指差すジョミー。
「何を言う!ミュウの長、ジョミー・マーキス・シン!今こそお前の生命を断つ!」
グランド・マザーとのジョミーとの戦いは、ある意味TV版よりあっさりと…(だから時間が無いんだって!)。
余りのエネルギーに倒れている二人。キースがふらつきながらジョミーを助け起こします。いつの間に友情が生まれたんだ?あんた達(笑)。
「これでいいんだ。地球は生命有る者の故郷だ。機械の物ではない。」
グランド・マザーに背を向け、歩き出す二人。その時壊れたはずのグランド・マザーから微量の光が出現し…、
「キース・アニアン…。ジョミー・マーキス・シンを討ちなさい…。」
その途端、マザーに操られてジョミーに向かって銃を発射するキース。機械に作られた人工生命は、命令に背くことが出来ない…。でも倒れたジョミーを見て正気に戻ります。自分が操られたにしろ、殺してしまったと言う事実に愕然とするキース。ジョミーに駈け寄るものの、もう事は終わった後…。
「よくやりました…。キース・アニアン…。」
「グランド・マザー…。私は貴方を許さない!私はずっと貴方の忠実な僕だった。でももう沢山だ!!」
「理解不能!理解不能!キース、貴方の感情を私に向けてはいけません!」
「そうでしょう。貴方のシステムから作られたのが私です。アンドロイドで有り、実験体です。しかし見て下さい!」
指を噛み切り、血を見せるキース。
「ノー!!ノー!!」
グランド・マザーの本格的な崩壊と共に地下都市の崩壊が始まり、地球に住んでた人達が命からがら地上を目指します。起こるパニック。その中で失われる多くの命…。この辺りは所謂パニック映画に共通する面が有ります。

一方ジョミーの遺体と共に、地下に飲まれたキースは、ある男の機械声を聞きます。
「随分長く待っていた。たった一つのことを伝える為に…。私はコンピュータ・テラ。」
グランド・マザーの死と共に、あることを伝える使命を帯びたコンピュータ。同じ様な使命を帯びながら、原作版と全く違う決断を示す彼。
SD体制を完璧なものだと自身が無かった、当時の科学者がミュウ因子、つまり正反対のものを組み込んだとキースに伝えるコンピュータ・テラ(原作&TV版はミュウ因子は自然発生でしたが…)。
「どちらが勝った?まあ、いい。私には関係ない。」
伝え終わって眠りにつくコンピュータ・テラ。崩壊が進む地下にたたずむキースの頭に、ジョミーの声が響きます。
(キース!逃げろ!逃げるんだ!キース!!!)
「いいんだ。もう私を支配する者は、命令する者は完全にいなくなった。今こそ私は、私の意志で自分の命にピリオドを打つ。」
2人の身体は瓦礫にうずもれていきます。片方は焦がれた星にたどり着いて…、片方は縛られた星から解き放たれて…共にその星の地下深くに、眠りに尽きます。

地上に何とかたどり着いた人を待っていたのは、雪深い地表…。そこにミュウ達が彼らを救う為に降りて来ていました。けが人を必死で手当てするミュウ達。傷が少ない人類の医者達も手伝います。

ミュウの船ではトォニィを含む強力なミュウ達(TV版で言うタイプ・ブルーのミュウ達)が集まって、トォニィの話を聞いています。
「残ったのは25人か…。我々の力は人類を超えてしまった。平和な地球にいても人類の敵になるだけだ。」
地球を離れる25人。窓から地球を眺め、トォニィは心の中で父に呼びかけます。
(ジョミー…。僕達は貴方の意思で生まれ、貴方の意思に従って生きてきた。これからも、ずっと遠い宇宙の彼方から、人類とミュウの行く末を見守り続けます。そして彼らが本当の人間らしさを取り戻したら、もう一度地球へ呼びかけるつもりです。
懐かしい地球…。僕達の故郷。全てはここから始まったのだから…。)

地球では極限状態でやっと一つになれた二つの種族を祝福するように、太陽が昇って彼らを照らします。そこには、ナキネズミを抱いたフィシス、リオ、長老達の姿も…。

今は自然の姿の地球。いずれ、人の住む世界に変わっていくのでしょう。原作ともTVとも大きく違うラストですが、トォニィの最後の台詞と共に、とても好きなラストです。大変だろうけれども、彼らを照らす夜明けが、やがていい方向に進んでいく事を示しているようで、それに被るエンディングテーマと共に美しいシーンでした。

TV版とは違った形ですが、人類とミュウが共に一つになると言う点では共通したラストには希望が持てました。ただラストにマツカが見つからないんですよね。キースを慕っていたので、地下に残ったのかな…とも思いますが、劇場版では殺されなかった設定なのでラストの夜明けを見つめる中にいて欲しいです。

時間の制約という以外にも、監督がアニメ初体験の分野違いのせいも有り、勝手が違って苦労も多かったようです。主なキャラクターの声が俳優だったと言う点でも、当時としては異色だったのではないでしょうか?(ラストを締めるトォニィの声は古谷徹さんですが)。

突っ込みどころが色々有るのは確かですが、ラストでそれを忘れてしまうのも事実。それだけ見甲斐のある作品でも有りました。これで、初めてこの作品を知って、こんなにはまるきっかけになったのも事実。

TV版を見た後、見返してみるのもいいものだと思いました。

さて、これで私の「地球へ…」は終わ…りそうに有りません。オリジナルDVDも申し込んじゃったし、まだまだ引っ張ります。我ながらしつこいなあ…と思いますが。
また近いうちに、話題にした時に読んで下さる人がいらっしゃると嬉しいです。


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冬萌まる▼・ェ・▼

お疲れ様でした^^ラストのシメはトォニィだったの
ですネ。ここでも、原作とは違って、泣きながら
遠くへ行ったわけではなさそうなので、少し安心
しました。(・・・シメをちゃんとした声優さんに
やってもらって、そっち方面も安心^^;)
当時としては、きっとこれが精一杯というのは
仕方ないでしょう^^また、当時はこれが最高!
だったはずですし。先日のTV版も、もしかしたら
あと10年後には「んん~?」ってなってしまい
またまたリバイバルなんてコト起こったりしてーー;
by 冬萌まる▼・ェ・▼ (2007-10-28 17:43) 

ミカリン

>ふゆもえさん
長文、ご購読ありがとうございます。
アニメ版はどちらも、主人公達が死んでしまった悲しさの中にも、未来への希望が残る結末で、見ていて悲しすぎないのが救いですね。
アニメに限らず、技術は日進月歩なので、昔のものを見るとどうしても粗が見えてしまいますね(特撮はそのもっともたる物で…)。永い月日が経っても、もう一度作ってみたいと思わせる作品は、本当に素晴らしいものだと思います。

最後のトォニィの台詞だけは、ずっと忘れずに私の頭の中に残っていたものでした。凄く感動したんですよ、当時この台詞に!
この記事も、この台詞を目指して書いていたといっても過言ではないかも(笑)。

斎賀さんにエンディングも歌ってほしいなぁ…と思います。
この、歌も最高に素敵な歌だったから…。
by ミカリン (2007-10-28 18:49) 

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