クライマーズ・ハイ [読書]
映画を見損ねました…。
せめて、今日までして欲しかったなぁ。
今日は、この話に描かれた「あの日」。
夏休み映画に押しやられてしまった形ですね。
舞台は群馬の地元新聞社。
大手とは呼べない新聞社を、いや、日本を震撼とさせた未曾有の大事故が起こったのは1985年の8月12日。
本来空路ではない群馬の御巣鷹山にジャンボ機が墜落、520人の命が奪われたあの事故から23年。
物語は主人公・悠木のその日から1週間と、事故後17年後を軸に進められていきます。
その時だから、感じたこと。
17年経ったから、分かること。
今尚23年経っても分からないこと。
読んでる側にもいろいろなことを突きつけながら、物語は進んでいきます。
大事故や、事件が起こった時のマスコミのあり方については、批判もあります。
もちろん、そのことを踏まえたうえで、地元の地方紙の記者たちの姿が、様々な立場から描かれます。
他人事として、乗り切れない者。
事故の大きさに舞い上がり、常軌を脱してしまう者。
現場の凄惨さを目の辺りにし、真実を伝えなければと必死になる者。
とかく批判が集まりがちなマスコミに対してですが、真摯に事故を受け止め、伝えることで事の大変さを、事故の再発防止を訴えようとしていた記者もいたのだという事を、元記者の作者は訴えかけています。
<目を開き、テレビ画面の御巣鷹山を見つめた。
山も深く傷ついていた。引き受けたのだ。他のどの山でもなく、世界最大の事故を、あの御巣鷹山が引き受けたのだ。
目が覚めたような思いだった。>
<『若い自衛官は仁王立ちしていた。
両手でしっかりと、小さな女の子を抱きかかえていた。 赤い、トンボの髪飾り。青い、水玉のワンピース。小麦色の、細い右手が、だらりと垂れ下がっていた。
自衛官は空を仰いだ。
空はあんなに青いというのに。
雲はぽっかり浮かんでいるというのに。
鳥は囀り、風は悠々と尾根を渡っていくというのに。
自衛官は地獄に目を落とした。
そのどこかにあるはずの、女の子の左手を探してあげなければならなかった。』>
<どこの県にも地元紙はある。彼女の故郷にだってきっとある。地元で起こった出来事なら、他のどの新聞よりも詳しい。だから彼女は北関で車を止めてもらった。夫を奪ったこの日航機事故のことが、どこよりも詳しく載っていると信じて。>
様々な出来事の中で、日航機事故の記事の全権を任されながら、どこか冷めていた悠木の心に、熱い思いがこみ上げてきます。
「日航をトップから外すわけにはいきません。五百二十人は群馬で死んだんです。」
遺書のシーンは、何度見ても涙がこみ上げてきます。
今までドキュメンタリーで見たものと同じものだというのに。
<『パパは本当に残念だ。』>
<『子供達のことをよろしくたのむ。』>
<本当に今までは幸せな人生だったと感謝している。>
ー神様、どうか助けてくださいー。
そして、ラスト近く、悠木の人生を大きく揺さぶる一言が、投げつけられます。
交通事故で父を亡くし、悠木の一言の叱責が元で自殺めいた死に方をした元部下の従妹の言葉。
「人の命って、大きい命と小さい命があるんですね。」
「重い命と、軽い命。大切な命と、そうでない命……。日航機の事故で亡くなった方たち、マスコミの人たちの間では、すごく大切な命だったんですよね。」
<『私の父や従兄弟の死に泣いてくれなかった人のために、私は泣きません。たとえそれが、世界最大の悲惨な事故で亡くなった方々のためであっても』>
それは、記事を見て、自分の身内の死との扱いの差を皮肉った精一杯の抵抗。
彼女の行為は正しいとはいえないけれど、身内を事故で失ったものからすれば、それが大きな事故でも小さな事故でも同じ苦しみを持つのは当然……。
しかし、この投書を載せた事で、彼の社での立場は苦しいものになり…。
新聞は何を伝えられるのか…。
新聞は何を伝えるべきなのか…。
難しい問題だと思います。
一つ言えるのは、この大事故を実際、現地の地方新聞社で当時過ごした原作者が、見て、感じたことが投影されているのだろうということ。
そして、その社会構図は何もマスコミだけに限ったことではなく、私たちの身近にも投影できると言うこと。
自分は何をすべきなのか。
自分には何が出来るのか…。
答えは、まだまだ出そうにありません。
きっと一生かかって、探していくのでしょう。
<本当に今までは幸せな人生だったと感謝している。>
最後にこんな言葉を言うことが、出来るでしょうか…。
最後になりましたが、日航機墜落事故の犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。
この出来事を、私たちは絶対に忘れませんから……。
コメント 0